2016年12月13日

日本の植民地政策は生真面目過ぎた!(4)

タイトルを変えました!

さて、日本の旧植民地、特に朝鮮半島と中国からは、さまざまな怨嗟の声が聞こえ、
反日運動もしばしば起こります。

特に、「従軍慰安婦問題」、「南京大虐殺問題」・・・

しかし、ここでは従軍慰安婦問題や南京大虐殺の問題は、一旦棚上げします。

何が真実なのか、どこまでが真実なのかよく分かりませんし、
立場によって大きく異なります。

なかなか難しい問題です。

結論として、ここでは置いておきます。


ここで論じたいのは、むしろ文化です。


朝鮮半島や中国の方々の思いは、

日本文化を押し付けられた!

民族の誇りを踏みにじられた!

という恨みに満ち満ちています。


中でも、彼らのアイデンティティーの根幹と言って過言ではない「氏名」。
それを無理やり改姓させられたことの恨みは非常に深いものがあるようです。
また、町の名前も日本風にことごとく書き換えました。

しかも、日本人のほとんどはそのことに未だ注意を払っていませんし、理解もできていません。


なぜ日本はそんなことをしたのでしょうか?

それは、「生真面目」に、植民地を「日本の延長」にしようとしたからです。

「大東亜共栄圏構想」とは、
日本が海外に「進出」(「侵略」と実は同義)していくことの大義であり、
また真面目で真剣な「理想」でした。

それはそれは、本当に大きな夢だったのです。
それを生真面目に考えていた人が多くいたのです。


もちろん、さまざまな人が群がっていますから、
いろいろな人がいたことでしょう。

利権や市場としてしか見てなかった人も多くいるでしょう。
私利私欲や、日本のことしか考えていなかった人もいたでしょう。


しかし、生真面目に「大東亜共栄圏」を考えていた人たちも多くいたのです。
それは確かです。

だからこそ、建築の粋を集めて大規模な街を造ったり、ダムを造ったり、
発電所や工場群を造ったりしました。

そして、そのことを、
「植民地と言っても搾取だけしたわけではない。
日本が大きな投資投下をして産業が伸びる礎を作ったので、
戦後順調に発展することができたのだ。
つまり大いなる恩恵を施してもいる」
と言う人もいます。

確かにそういう面もあるでしょう。


しかし、問題はそこではありません。

日本のしたことは、悪く言えば今でいう「ストーカー行為」のようなものだったことが問題なのです。

一方的な思いを一方的に相手に押し付け強要する。

それがストーカー行為の定義であるならば、
紛れもないストーカー行為です。
つまり、「真剣」で「生真面目」な思いからきた一方的な行為です。


そんなことを考えながらちょっと調べてみたら、
似たようなことを書いたものを見つけ、ちょっと気が抜けました(笑)。

何と、YAHOOの知恵袋

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1448418649


以下同文(笑)

この話題、これでおしまい!

2016年12月12日

日本の植民地政策は生真面目過ぎた(3)

昭和に入ってからの日本の歴史を学ぶとき、
日本の軍国主義化(五一五事件、ニニ六事件)、日華事変、ABCD包囲網、開戦、敗戦、・・・

私達は歴史を学ぶ時、「歴史の大きな流れ」として学びます。


「歴史の大きな流れ」とは、決して嘘でも間違いでもありません。

しかし、歴史を大きな流れとして観る時、
私達はしばしば大切なことを見落としてしまいます。
「大きな流れ」とは、言い替えると「単純化」でもあるからです。

その「歴史の大きな流れ」に合わないことは、ことごとく切り捨てることになります。
その方が分かりやすいからです。

私達は分かりやすいことを好みます。
分かりやすいとは、単純ということです。


では、実際の出来事はそんなに単純でしょうか?

実はそうではありません。


中世は、「暗黒時代」と呼ばれ、まるで人々は暗く暮らしていたかのように想像してしまいます。

戦国時代では、まるで毎日が戦争で人は常に不安に慄いていたかのようなイメージを持ちます。

しかし、実際は中世ほど人間が快楽的に生きていた時代はなく、
戦国時代も私たちが「言葉」で想像するような不安に満ち満ちていたわけでもありません。

江戸時代は封建社会で男尊女卑の時代、ということになっていますが、
実際には女性の方が実質的な力を持ち(これは古今東西変わりませんが・・・(笑))、
女性からの離婚も実は比較的容易にできたし(駆け込み寺など)、
また女性のお金に夫は手を出せなかった、という事実もあります。


言葉の力はすごいです。

軍国主義、国粋主義、特高、という言葉から、
私達は非常に単純で危険な狂気のようなものを思い浮かべます。

もちろん全く違う、とは言いません。
その言葉に集約されてしまうような何かを持っていることは確かです。
しかし、言葉は恐ろしいものです。
その言葉やレッテルによって、あたかもすべてがそうであったかのようなイメージをしてしまいます。
1色だけに染められてしまうのです。


歴史の大きな流れ、という時、
必ずその逆の流れやさまざまな方向の流れもあり、
実はどちらに行ってもおかしくないくらいの大きな力が他にもありました。

しかし、さまざまな理由により、それらが「合算」されたものとして、
(精密には「経路積分」、と言いたいところですが・・・)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%8C%E8%B7%AF%E7%A9%8D%E5%88%86

「歴史の大きな流れ」ができたのです。

決して単純な1本の線で出来たものではありません。

さて、お待たせしました。

本題です。

日本の植民地政策は、「生真面目」だったから現地の恨みを買った、
というのはなぜでしょうか?


つづく

日本の植民地政策は生真面目過ぎた(2)

私は特定の宗教団体に属してはいませんが、宗教には非常に関心を抱いています。
なぜならば、人間そのものが「宗教的」だからです。

では、「宗教的」とは何か?

簡単に言うと、「ただ生きている」、のではなく、
「いかに生きるか」「いかによりよく生きるか」を考えることそのものが「宗教的」
という意味で使っています。

だから、その意味では全ての人は「宗教的」です。


私は仏教徒ではありませんが、
昔から仏教にも非常に関心を持っています。

その流れでイスラム学の泰斗、井筒俊彦さんの著書を読みました。

最初に読んだのは、「イスラム哲学の原像」でした。

https://www.amazon.co.jp/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E5%93%B2%E5%AD%A6%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%83%8F-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E4%BA%95%E7%AD%92-%E4%BF%8A%E5%BD%A6/dp/4004201195

非常に感銘を受けました。

本当に素晴らしい本で、いっぺんに魅了され、井筒さんの本を次々に読みました。


司馬遼太郎との対談「二十世紀末の闇と光」(中公文庫)の中で
非常に面白い一節が出てきました。


************

日本を訪れていたタタール人の学者、ムーサー・ジャールッラーハを紹介された。
その彼が私の部屋を見回して、

「おまえ、ずいぶん本を持っているな。この本、どうするんだ」

「もちろん、これで勉強する」

「火事になったらどうする?」

「火事で全部焼けちゃったらお手上げで、自分はしばらく勉強できない」

といったら、それこそ呵々大笑するんです。

「なんという情けない。家事になったら勉強できないような学者なのか」と。(笑)

しばらくたってから、今度は「おまえ、旅行するときはどうして勉強するんだ」というから、
あの頃、行李に入れてチッキというやつにして汽車で運んだでしょう。

「必要な本を持っていって読むんだ」といったら、

「おまえみたいなのは、本箱を背負って歩く、いわば人間のカタツムリだ。そんなものは学者じゃない。何かを本格的に勉強したいんなら、その学問のテクストを全部頭に入れて、その上で自分の意見を縦横無尽に働かせるようでないと学者じゃない」

というんですよね。
われわれみたいに、ただ本を読むだけでやっとみたいなのは、学者でも何でもない。

*************


へー! そうなんだ! すごい!
それが本当の学者なんだ!

と感動して何度も読みました。

そしてその本の中だったか、立花隆との対談の中だったか、
大川周明が、イスラム文化に非常に興味を持っていて、
私費でイスラム文化の研究所や図書館を持ち、
井筒さんは研究者としてそこに雇われていた、という記述がありました。

びっくりしました。

大川周明という人について、私は全く浅薄な認識しか持っていませんでした。
A級戦犯で、東京裁判の時に東条英機の頭を何度か叩き、
精神障害と認定され、精神病院に入院になり、結局釈放された、
ということ以上に何も知りませんでした。

A級戦犯で、軍人ではなかったのだから、
思想的に国粋主義者で右翼なのだろう、という極めて稚拙な認識でした。


しかし、戦前にイスラム文化に非常に関心をもって研究所を持ち、
マルクスを「自分の師」と呼び、
コーランまで全訳(これは晩年)したとなると、話は全く違ってきます。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B7%9D%E5%91%A8%E6%98%8E


いろいろと読んでいくうちに、
次第に、大東亜共栄圏構想を始めとして、
いわゆる右翼の方々のことも含めて、おぼろげながら様々な事情が次第に分かってきました。

それは、それまでの私の認識を根底から覆すような、極めて意外なことでした。


続く

日本の植民地政策は生真面目過ぎた(1)

1年前に書き掛けで中途半端なところで終わっていたブログを
ちゃんと書くことにしました。


************


大英帝国。

植民地における収奪の仕方も凄まじいですが、植民地支配の方法も凄まじく巧妙です。
だから、旧宗主国として、未だに多くの旧植民地から慕われています。

その点、日本の植民地政策は非常に正反対な結果です。
台湾を除いて、残念ながら概して反日感情が強いです。

その違いはどこからきたのでしょうか?


それは、日本の植民地政策が、ある意味「真面目」なものだったからです。

???


真面目だったから現地人の反感を買った???

実はそうなのです・・・


大英帝国の植民地政策は、一言でいえば
「極めて巧妙な省エネ」です。

常時駐屯する軍隊も必要最小限。
政治制度も、それまでの制度を最大限活用し、
トップが英国提督に代わるだけ。
もちろん文化を変えようともしません。

その結果、植民地の住人たちも、
自分たちの自主性や文化が尊重されている感覚を持ち、
余り抵抗を感じることなく、
むしろ、あの強大な大英帝国の一員になった喜びを感じる、
という流れになります。
抵抗が少ないので、経済的な収奪はやりたい放題。
極めて利益の大きな植民地経営になりました。

日本はどうだったでしょうか?

日本はその正反対でした。
日本がやったことは、「日本化」でした。
植民地を日本で染め上げようとしました。
日本文化を学ばせ、姓名も日本式に変え、
そこに日本を再現しようとしました。

その思いは、ある意味真摯なものでした。
「大東亜共栄圏構想」は、今では完全なる悪者になっていますが、
それを考えた人たちの思いは実は真剣そのものでした。

それを意外な流れから知ったのです。


続く

2016年12月07日

ほめ殺し

20年くらい前だったでしょうか。
「ほめ殺し」という言葉が流行りました。

最近思い出して、ちょっと調べてみました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BB%E3%82%81%E6%AE%BA%E3%81%97


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伝統芸能・芸能界

元々は歌舞伎などの芸能関係で使われてきた用語で、頭角を現し有望格と見なされた若手を必要以上に褒めることで有頂天にさせ、結局その才能をだめにしてしまうこと。

また、競合関係にある人物を過剰にほめ上げて増長させ、大きなスキャンダルや不祥事を誘発させて社会的信用を失墜させることで、その活躍の機会を失わせて才能を潰すことを指す。


政治手法

日本における政治団体の活動に見られる戦術の一つ。前述の伝統芸能の用語から転じて、「攻撃対象者を批判するのではなく、敢えて賛美・賞賛する中で皮肉を織り交ぜることにより、脅迫罪や強要罪の構成要件を排除しつつ攻撃対象者のイメージダウンをもたらす」という、一種の嫌がらせ活動を意味する。

1987年(昭和62年)に、稲川会系の右翼団体「日本皇民党」が、自民党総裁選に立候補していた竹下登に対して「日本一金儲けが上手い竹下さんを内閣総理大臣にしましょう」と街頭宣伝活動を行ったことで、一躍有名になった(皇民党事件)。

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なるほど・・・

「ほめ殺し」とは、意図的に相手をダメにしようとして褒めあげること。


とすると、、「批判」や「バッシング」は、その逆ということになりますね。

つまり、批判やバッシングとは、「意図的に相手の足らないところに気付かせて向上させる巧妙な支援の仕方」です。


ということは、みんなホメオパシーを応援しようとしている!

ありがたい!

素晴らしい!

ますます勇気が湧いてきました!


有難うございます!

2016年12月06日

アンチホメオパシーの方々  有難うございます!

ホメオパシーには昔から根強い反対者、アンチホメオパシーの方々がいらっしゃいます。


そういう方々に対して、今までは真っ向から反論していました。
ここが違いますよ! ホメオパシーはそういうものではないですよ! と。


しかし、それがいかに間違いであり勘違いであったか、ようやく気が付いたのです!

昔からよく言われます。
「アンチ巨人とは、巨人ファンである」、と。

つまり、「アンチホメオパシーの方々は
実は「熱烈なホメオパシーファン」だということです!!!


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改めまして

アンチホメオパシーの方々、本当にいつも有難うございます!

皆さまはホメオパシーを攻撃しようとしているわけではなく、
ホメオパシーをより完璧なものにしようと、
「ここがおかしい!」、「あそこもできてない!」
と粘り強く難癖をつけて叱咤激励して下さっていたのですね。。


本当に有難いことです!

あのウサイン・ボルトが16歳からずっとホメオパシーで治療し体調を整えているからといって、

あのドイツのサッカーリーグのブンデスリーガの1部2部両リーグのチームドクターの92%がホメオパシーをメインに使っているからといって、

あのエリザベス女王の首席主治医がホメオパシーだからといって、

あの現代医学よりも60年早く二重盲検法を始めたからといって、

いい気になるな! 慢心するな!

と叱咤激励して下さっていたのですね。


本当にありがとうございます!


これからも、一層精進いたします!

2016年12月05日

ハーネマンアカデミーの再出発

たいへん久しぶりです。


数日前、とても大きなことがありました。
待望の「言葉」を見つけたのです。

「ハーネマンアカデミーとは何か」を一言で表現する言葉・・・ 
ハーネマンアカデミー創立以来、ずっと一貫してやり続けてこようとしたこと、
今まではなかなか一言にならず、それを結局は長々と説明しようとしていたのですが、
その言葉に出会ってから、この言葉に収斂しました。

聞いたら、なーんだ、そんな言葉? と思うかもしれませんが、
この10年以上ずっと探し続けていました。

先週に放映された「ガイアの夜明け」。
今回は今をときめく星野リゾート。
「星のや」を運営し、破綻寸前のホテルや旅館を次々に再生させている星野リゾートには非常に興味を持っていました。

その星野リゾートがこの20年以上ずっと掲げ続けてきたビジョン(理念)が出てきました。
「私が探していたのはそれだ!」 と思いました。

社員のスタッフがお茶を飲んでいる場面。
スタッフがお茶を飲むカップ。
それを「飲むとだんだん苦しい気持ちになるカップ」(笑)と言うのです。
??? と思いますよね。
実は、スタッフ全員に配られるVisionary Cupというカップがあって、半分くらい飲むと、「経常利益20%」と書いてある(笑)。
そして、全部飲むと一番下に、「リゾート運営の達人になる」と書いてあります。
「リゾート運営の達人になる」それが星野リゾートのこの20年間の基本理念です。


それを見て、それだ!!! とすぐに思いました。


「ホメオパシーの達人になる」


この言葉に、今までのハーネマンアカデミーが目指してきたこと、そしてこれからも目指し続けること、その全てが託せる、と思いました。

星野リゾートでも、たったこれだけの言葉に行き着くまでものすごい時間がかかっています。
私も探し始めてから10年以上かかりました。

わたしの原点は、「伝える」ことでした。
では何を伝えたかったのか?
それは突き詰めれば「ホメオパシーの極意」でした。


「ホメオパシーの極意」とは何か?
それは、「ホメオパシーの科学とアートが1つになり、おもてなしの心で包むこと」

それをできる人が「ホメオパシーの達人」
それが私の定義です。


すなわち、「ホメオパシーの極意を伝え、一人一人がホメオパシーの達人になる場」
それがハーネマンアカデミーです。


クライアントは、どんなホメオパスを必要としているでしょうか?
「ホメオパシーに通じていることはもちろんですが、人間的な幅や暖かさがある人」
だと思います。 それがすなわち「ホメオパシーの達人」です。


ホメオパシーの科学(ホメオパシーの哲学、レメディー)に通じていること、それは当然です。それがなければホメオパシーの達人ではありません。

しかし、それだけでは極意でもなく、達人でもありません。

ホメオパシーのアート(ホメオパシーの科学をいかに生身の人間に適応していくか)を心得ていること。すなわち人間に通じ、人が成長し変わっていくことの喜びと困難を、身をもって理解していること。

しかし、それだけでは足りません。
それをおもてなしの心で包むことが必要です。


「おもてなしの心」とは何か?

いろいろな定義があると思いますが、
「独自の価値観を再発見し、その示し方を相手の側に立って徹底して考えて実行すること」
それが私の定義です。

さて、創立以来20年余り、ハーネマンアカデミーとは何か? を再発見し、再定義した今、ハーネマンアカデミーは再出発します。

これから、皆さんに頻繁にメッセージを発し続けます。

2015年08月17日

「集団無責任体制 = 集団責任体制」と終戦秘話

8月15日近辺では、TV番組も終戦にちなんだ番組が多くなります。
その一つ、「日本のいちばん長い日」という映画が放映されました。

今まで何度か原作を読み、また映画も数回観ました。
最初は「こんなことがあったとは!」という驚きが大きかったのですが、
何回目かの今回は、特に感慨深かったです。

あらすじは、

天皇の玉音放送で戦争は終結した、と考えられているし、その通りであるが、
実際には終戦はそんなにすんなり実現したわけではなく、
軍部の猛烈な抵抗があり、
8月14日から15日にかけては
ほとんどクーデターに近いことが内部では起こっていて、
玉音放送のレコード盤も非常に危うく押収される寸前だった。
一つ間違えば終戦の詔の玉音放送もどうなっていたか分からないほど
非常に際どかった

という実話です。


今回、非常に感銘を受けたのは、驚くべき姿でした。

あれほど絶対的神聖な存在として崇めていたはずの天皇陛下の御聖断が下されても、
自分の信念と合わなければ断固として従わず、
それどころか上官を殺害し、命令書を偽造してまで、徹底抗戦を貫き、
自分の意志に天皇までを従えさせようとした人たちが多くいた、ということです。

なぜそんなことが出来たのか?


通常考える指揮系統であれば、
天皇陛下の御決定は絶対的なものですから、
その瞬間にそれに従うはずです。

しかし、そうではありませんでした。


それはなぜなのか?

暴発、独走、という一面的な言葉で片付けられるものではありません。


日本の伝統的文化は、特定の権力者の決定に盲従するという土壌ではなく、
一人一人が当事者意識を持っている、
それが図らずも表れているのだ・・・。

私は、日本固有の文化、美徳が、図らずも、こういうところでも、こういう形で現れる、
ということに「戦慄」を禁じ得ませんでした。

驚き、悲しみ、哀悼・・・


京セラの創立者でJAL再建の立役者の稲盛さんが提唱する「アメーバ経営」。
http://www.kyocera.co.jp/inamori/management/amoeba/

「組織を小集団に分け、市場に直結した独立採算制により運営し、経営者意識を持ったリーダーを社内に育成し、全従業員が経営に参画する「全員参加経営」を実現する経営手法です。」

と説明されています。


確かにアメーバ経営として提唱したのは稲盛さんですが、
実は、「集団的無責任体制 = 集団的全員責任体制」
がその原型にある、と思います。

それぞれがアメーバのように状況に対処しながらもバラバラにならないのは、
一人一人に深く無意識にしみこんでいる当事者意識、
即ち「全員参加経営」なので、無責任なバラバラ体制になりにくい、
ということがあると思います。

そして、そのつなぎ役になっているのが「空気」です。
有名な「空気の研究」という名著もあるくらいですが、
それについてはまた触れましょう。


文化にはさまざまな要素や方向性、地域性がありますから、
当然異論もいろいろと出ると思いますが、
大筋は間違ってない、と思っています。

集団無責任体制は素晴らしい!

このタイトルを見て、

えっ   何かの間違いでは?

と思われた方もきっといらっしゃると思います。


今話題の新国立競技場。
一体誰の責任で決めたのか?
一体誰が責任を取るのか?

誰もいない!!!


一体誰が戦争をすると決めたのか?

誰もいない!!!


それは何だ!
信じられない!
けしからん! 
という話になっています。

これが、俗にいう集団的無責任体制です。


「集団無責任体制」、と書くと、非常にマイナスのイメージです。

しかし、実は、これが日本を素晴らしい国にした原動力なのです。

えっ!!!
なぜ???


集団的無責任体制とは、実のところ「集団的責任体制」なのです。
つまり、特定の「責任者」だけでなく、
全員が当事者意識を持って事に当たっている、ということです。

日本人は、みんなが当事者意識を持って事に処しています。
「責任」ではなく、当事者意識です。
一人一人が無意識に持っている当事者意識こそが、
「集団的無責任体制」の正体です。


一人一人が自分事として、事に当たる。
だからこそ、素晴らしい品質の製品を作り、
遅刻がほとんどない鉄道ダイヤ、
そして大震災の時の、見事な処し方をできるのです。


それに対して、特定の誰かが責任を取る体制とは、
裏を返せば、他の人は一切責任を取らない体制です。
つまり、特定の責任者以外は、当事者意識がない、ということです。

「集団無責任体制」の本質は、全員が当事者意識を持っている
という驚くべき姿なのです。


(余談ですが、「責任」という概念は実のところ不毛です。
なぜなら、誰も本当に「責任」を取ることはできません。

本当に責任を取る、とは原状回復することです。
しかし、そんなことは誰もできないのです。
例えば人が亡くなった時、原状回復は誰もできないのですから。
そこまでいかなくても、時を戻すことは決してできません。

責任を取るなど、誰もできません。
だから、誰も責任を取らなくて済むように細心の注意を払い、
万全の体制にすることこそ、真に責任ある態度です。

天皇陛下のお言葉と安倍首相の談話 (2)

「日本はいつまで謝り続けなければならないのか?」

よくこういう論調が見られます。
しかし、私はこう問いかけたいと思います。

日本は、今まで真摯に謝罪したことがあったのですか? と。


おそらく、今までの中で一番真摯な謝罪は、村山談話でしょう。
村山元首相の思いは真剣だったと思いますし、新しい時代の幕を開いた画期的な談話でした。
そして、中国も韓国も非常な好感を抱きました。
謝罪らしい謝罪は初めてだったからです。


ところで、人は、どれくらい謝罪されたら、十分に謝罪された、と思うでしょうか?

例えば、ちょっとぶつかった時には、一度謝ったら十分でしょう。
しかし、家族を殺された時にはいかがでしょうか?
しかも、相手はずっと50年も謝罪せず、50年経ってようやく謝罪したとしたら。
そしてその後は謝りたくない態度が見え見え。
ようやく謝ったと思ったら、今度はいつまで謝り続けなければならないのか? と開き直られる。

それで人は謝罪されていると思うでしょうか?


そうなると、村山談話に対しても、いろいろな受け止め方が出てきます。

まず、村山首相は、自民党ではなく、社会党でした。
錯綜した政治力学から連立内閣で首相にはなりましたが、
あくまで少数党の社会党の委員長でした。
なので、自民党という日本の主流からの謝罪ではありませんでした。

また村山談話を継承した小泉首相は自民党でしたが、
「凡人、軍人、変人」という流行語になったように、
「自民党をぶっ壊す」と公言した変人であり、異端児です。

つまり、日本の主流というか、
戦争を起こした「保守本流」からは謝罪されたことは一度もありません。
一度として。

そして、今は、謝罪の気持ちなど一片もなく、
内心は憤懣やるかたなく、ただ嫌々言わされていることが見え見えなのです。


それが、韓国や中国が謝罪を求め続ける理由です。

2015年08月16日

天皇陛下のお言葉と安倍首相の談話 (1)

毎年繰り返される靖国参拝問題、歴史観の問題、
今年は安保法案、70年談話、など多くの議論を呼んでいます。

70年談話、多くの議論があります。
さまざまな意見がありますが、
懐疑的な人は、
「キーワードは確かに入っているが、主語が私ではなく引用ばかりで自分の意見がない」
「妥協の産物」、「未来志向をはき違えている」

賛成派の人は、
「よく練られバランスがとれていて素晴らしい」

という意見です。

私個人の感想は、「安倍さん、精一杯頑張ったね」
という感じです。

安倍総理に対して大いに批判的な私からこのような「好意的?」感想が出てくるとは
意外で驚かれる方も多いと思いますが、
実は正直な気持ちです。

安倍総理の心は、幼い男の子の心です。
つまり、自分が本当には思ってないことを
どうしても無理に言わなければならない羽目になった時の心の状態です。
事の是非はともかくとして、最大限に努力したのだろうと思います。
安倍首相の世界観には賛同できませんが、
彼なりに努力したことは確かです。

安倍さん個人にある戦争にたいしての「反省」というのは、
泥棒が捕まった時に、泥棒をしたことへの反省ではなく、
「捕まらないようにもっとうまくやればよかった」
というレベルの反省なのだろうと思います。

それにはそれなりの理由があります。
日本がやったことは、アメリカ、英国、フランスなどの戦勝国がやったことと
基本的に何一つ違いがないからです。

戦勝国は正しくて、敗戦国は間違っていたのか、
ということになると、
ユダヤ人大量虐殺をしたドイツは次元が違いますが、
他の戦勝国も植民地で多くの民を殺戮や虐待していましたし、
ベトナム戦争や中南米諸国で行ったこと、
そして今なお中東諸国で行っていることは、
本当にどうしようもない、
残虐非道としか言いようのない犯罪行為だと思います。

つまり、日本が反省しなければならないならば、
同様のことを行った米英も同様に反省をしてしかるべきである、
ということです。

正直なところ、私もそう思います。

戦争に負けなかった国の運命は決して明るくありません。
成功しても反省すべきところを反省する人はわずかです。

残念ながら、人間は失敗にしか学ぶことはなかなかできないのです。

2015年07月09日

がん治療の「常識」と「非常識」

先週土曜日朝に、リアリTVで「がんって、不幸ですか?」という番組がありました。
7月10日(金)まで視聴できます。

http://vod.ntv.co.jp/f/view/?contentsId=10145#__utma=1.279200891.1435963556.1436262230.1436392947.3&__utmb=1.2.9.1436392958161&__utmc=1&__utmx=-&__utmz=1.1436392947.3.3.utmcsr=google|utmccn=%28organic%29|utmcmd=organic|utmctr=%28not%20provided%29&__utmv=-&__utmk=80816151


多くのことを考えさせられる番組でした。

今のがん治療に苦しみながらも懸命に頑張って、同じがんの方に勇気を与えたいと考える人、がんになってもっと幸せになった、こんなに健気に頑張っている人を見ると、本当に胸が詰まる思いです。


しかし、また同時にものすごい怒りも湧いてきます。
医療という名のもとに、医療の常識として、
「堂々と」無意味で苦しみを与え続ける今の「標準的がん治療」。

抗がん剤は、日本人のがんの10%にしか有効ではないのに、
製薬会社のシモベとなって抗がん剤という名前の毒を注入し続ける医師。

あれほどの苦しみを「生きるためには仕方がない」
という思いで何とか克服している素晴らしい患者たち。

「毒ガス」から始まった抗がん剤をやり続け、
10%しか効かない科学的現実を無視して、
無意味で苦しみだけ与えるので欧米では固く禁止されている手術後の「念のため」の抗がん剤の投与。

患者さんの苦しみと、生きる力に感銘を受けると共に、
こんな「医療の常識」という名の「非常識」に
本当に怒りと憤怒を改めて感じました。

100年後に今の医療を振り返ったら、
信じられない野蛮な治療と思われることは必定です。

しかし、人間の常識に基づいた、普遍的な医療は、
現代医学や科学的見地からも始まっています。
これは、その一つ。
極めて重要な番組です。

まずはご覧ください。 http://www.ted.com/talks/mina_bissell_experiments_that_point_to_a_new_understanding_of_cancer?language=ja

2015年07月08日

「常識」と「ふつう」

今日の最初のブログでこう書きました。

「常識」とは、
世の移り変わり、流行り廃りにかかわらず、
常に真実であるもの、
即ち「常なるもの」「普遍的な真実」である。

小林秀雄は、それを「常識」と呼びました。
デカルトは、それを「良識」 bon sens と呼びました。

田中佳医師は、それを「ふつう」と呼びました。

http://ameblo.jp/emkanayoshi/entry-11997972085.html

今の「医療島」の常識は「俗説」に過ぎず、
普遍的な真実には程遠い。

医療島の常識は、「ふつう」ではない。
尋常ではない。
普遍的な真実ではない。

「日進月歩」という名の「朝令暮改」。
今日なされている治療は、明日はもう否定される。

今の医療で50年後に残っているのは、
ほとんどないかもしれない。

ホメオパシーは、200年前から変わらない。
変わる必要がない。

人間の常なるもの、普遍的な真実に基づいているから。

「常識」とは?

随分と久しぶりの更新です。

パソコンが新しくした時に、パスワードがどこかにいってしまったというお粗末な話でした・・・
申し訳ありませんでした。


「常識」という言葉があります。
この言葉は、使う人によって千差万別の意味に変わります。

社会の多くの人が共通的に有している価値観、知識、判断力、共通感覚
これが、一般的な意味での「常識」だろうと思います。

小林秀雄は、そういう定義の「常識」に真っ向からチャレンジしました。
小林秀雄にとって、通俗な「常識」は常識ではありません。
「常なるもの」つまり、普遍的な真実を追求していた小林秀雄にとって、
通俗的な「常識」は、むしろ「非常識」です。
小林秀雄はそれを、「俗説」と呼びました。
確かに言い得て妙だと思います。


私は小林秀雄にはものすごく影響を受けています。
小林秀雄という巨大な光と「一心同体」のように感じています。

そういう感覚を持ったのは、
森有正、小林秀雄、ハイゼンベルク、そしてヘッセの「シッダルダ」でしょうか・・・

今まで500回以上読んだ本は幾つかあります。
ヘッセの「シッダルダ」とハイゼンベルクの「部分と全体」です。
森有正は、全集をずっと「入り浸る」ように読んでいたので、
回数はそこまでありませんが、時間的には一番長かったかもしれません。


日比谷教養講座、
シッダルダは大阪と名古屋で開催されました。

回を重ねる毎に、内容が深まっています。
いよいよ東京でも今週末にあります。
http://global-wings.co.jp/lab/

楽しみにしています!

2013年03月04日

木戸孝允に静かな感動

こんにちは。

ベルリンという街は、まだよく正体が分かりません・・・

私が鈍いのか、毎日一日中セミナーで同じ場所にしかいないからか、
ほどんと旧東ベルリンにしかいないからか、巨大な空虚を感じる以外、
まだ何も分からない状態です。

今日で4日間のセミナーが終わるので、少し旧西ベルリン側も歩いてみます・・・


さて、今日幕末についていろいろと調べていた時、
桂小五郎というか木戸孝允についての記述を読み、思いがけず感動しました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%88%B8%E5%AD%9D%E5%85%81


特にここです。


******************************

弘化 3年(1846年 )、長州藩の師範代 である(柳生新陰流 )の道場に入門している。嘉永元年(1848年)、元服 して和田小五郎から大組士・桂小五郎となり、実父に「もとが武士でない以上、人一倍武士になるよう粉骨精進せねばならぬ」ことを言い含められ、それ以降、剣術 修行に人一倍精を出し、腕を上げ、実力を認められ始める。嘉永5年(1852年 )、剣術修行を名目とする江戸 留学を決意し、藩に許可され、長州藩に招かれていた神道無念流 の剣客・斎藤新太郎 ほか5名の藩費留学生たちに随行し私費で江戸に旅立つ。


江戸三大道場 の一つ、練兵館 (斎藤弥九郎 )に入門し、新太郎の指南を受ける。免許皆伝 を得て、入門1年で塾頭となった。大柄な小五郎が、得意の上段 に竹刀 を構えるや否や「その静謐(せいひつ)な気魄(きはく)に周囲が圧倒された」と伝えられる。小五郎と同時期に免許皆伝を得た大村藩 の渡辺昇 (後に、長州藩と坂本龍馬 を長崎 で結びつける人物)とともに、練兵館の双璧と称えられた。

幕府講武所 の総裁・男谷精一郎 の直弟子を破るなど、藩命で帰国するまでの5年間、練兵館の塾頭を務めおおせ、その間、剣豪の名を天下に轟かせる。大村藩などの江戸藩邸 に招かれ、請われて剣術指導も行った。また、近藤勇 をして「恐ろしい以上、手も足も出なかったのが桂小五郎だ」と言わしめたという逸話がある[1] 。


一説には、安政 5年(1858年 )10月、小五郎が武市半平太 や坂本龍馬と、桃井道場の撃剣会で試合をしたとされるが、当時の武市・坂本は前月から土佐国 に帰ったままである。

敵対する者ですら認める剣豪でありながら、真剣を用いたという記録は無く、暗殺者や捕吏に対しても、ときに変装まで用いて闘争を避けることに徹した為「逃げの小五郎」と渾名された。


****************************

つまり、蛮勇で名を轟かせ恐れられた新撰組の近藤勇をして、
「恐ろしい以上、手も足も出なかったのが桂小五郎だ」と言わしめたという逸話の持ち主でありながら、
真剣で戦って人の命を無用に奪うことをせず、徹底的に逃げまくったという事実。

すごいです。


私は山口県出身で木戸孝允という名前はずいぶんと聞きましたが、
正直なところなぜ「明治維新の三傑」と呼ばれるのか、
ピンと来ていませんでした。

しかし、いろいろと読んでいるうちに、
すごいなあと感動しました。

2013年03月03日

ベルリン

こんにちは。


かなりご無沙汰しています。

ご無沙汰している時は、、
たいていは毎日書ききれないほど多くのことが起こっている時です。


今年に入り、1月早々に韓国に行き、
看護大学院で、二日間にわたりみっちりとホメオパシーセミナーを行いました。

とても熱い受講生たちで、とても嬉しかったのですが、
中でも学部長と筆頭教授が修了書をもらってとっても嬉しそうだったのが、
何ともいえずキュートでした。


ジェレミー先生の国際セミナー。
今回も深く深く私たちにホメオパシーの息吹を吹き込んでくれました。
一生忘れられない多くのインスピレーションを与えてくれました。


卒業生の羽田さんがアレンジしてくれたセミナー、
一見関係ないように見えるアレルギーとガンですが、実は非常に深い関連があることを話しました。


野崎先生を講師にお招きしたソリューション研修、そして大阪での授業。
これも素晴らしかった・・・
「黒い社労士」が強み引き出しを行い、新しい「元服名」をつけてくれました。
多くの方々が、涙を流して新しく古い自分に向かって歩き始めました。


そして、先週末の卒業式。
野崎先生の師匠、三井豊久先生と、
また、「フラガール」を初めとする多くの映画を作った名プロデューサー、
李鳳宇さんをお迎えしました。

野崎先生も素晴らしかったけれど、三井先生はさすが師匠!
うなりました!
素晴らしい!

ご自分の全存在をかけて、全実存をかけて人を観ますから、
見え方が全く違います。

すごいです!

ただ単に本質を見抜くのではなく、その方の可能性を大きく広げるのです。
最初はぎょっとするようなことを言うのですが、
極めて正鵠を得た一矢で、
時間が経つほど効いてくるのです。

本当にホメオパシーと同じです。
現在の仮のバランスを崩し、自分が広がり深まりながら本来の調和に向かう。

大したものです。本当に。

ありがとうございました。


そして、FBには書きましたが、私は今ベルリンにいます。
ジェレミー先生の4日間のセミナーと、サンカラン先生の3日間のセミナーを受けながら、
ミーティングをするのが目的です。


今、私の中でもとても大きなことが起こりつつあります。
そのためでもあります。


詳しくは、授業やセミナー、またこのブログでも書きます。

ベルリン

こんにちは。


かなりご無沙汰しています。

ご無沙汰している時は、、
たいていは毎日書ききれないほど多くのことが起こっている時です。


今年に入り、1月早々に韓国に行き、
看護大学院で、二日間にわたりみっちりとホメオパシーセミナーを行いました。

とても熱い受講生たちで、とても嬉しかったのですが、
中でも学部長と筆頭教授が修了書をもらってとっても嬉しそうだったのが、
何ともいえずキュートでした。


ジェレミー先生の国際セミナー。
今回も深く深く私たちにホメオパシーの息吹を吹き込んでくれました。
一生忘れられない多くのインスピレーションを与えてくれました。


卒業生の羽田さんがアレンジしてくれたセミナー、
一見関係ないように見えるアレルギーとガンですが、実は非常に深い関連があることを話しました。


野崎先生を講師にお招きしたソリューション研修、そして大阪での授業。
これも素晴らしかった・・・
「黒い社労士」が強み引き出しを行い、新しい「元服名」をつけてくれました。
多くの方々が、涙を流して新しく古い自分に向かって歩き始めました。


そして、先週末の卒業式。
野崎先生の師匠、三井豊久先生と、
また、「フラガール」を初めとする多くの映画を作った名プロデューサー、
李鳳宇さんをお迎えしました。

野崎先生も素晴らしかったけれど、三井先生はさすが師匠!
うなりました!
素晴らしい!

ご自分の全存在をかけて、全実存をかけて人を観ますから、
見え方が全く違います。

すごいです!

ただ単に本質を見抜くのではなく、その方の可能性を大きく広げるのです。
最初はぎょっとするようなことを言うのですが、
極めて正鵠を得た一矢で、
時間が経つほど効いてくるのです。

本当にホメオパシーと同じです。
現在の仮のバランスを崩し、自分が広がり深まりながら本来の調和に向かう。

大したものです。本当に。

ありがとうございました。


そして、FBには書きましたが、私は今ベルリンにいます。
ジェレミー先生の4日間のセミナーと、サンカラン先生の3日間のセミナーを受けながら、
ミーティングをするのが目的です。


今、私の中でもとても大きなことが起こりつつあります。
そのためでもあります。


詳しくは、授業やセミナー、またこのブログでも書きます。

2012年12月29日

安倍内閣が誕生しました・・・

お早うございます。
選挙から早いもので10日以上経ち、いよいよ阿部内閣が誕生しました。

前回のブログやFBで
「自民党が結果として「脱原発」を実現する!?」というタイトルで書きました。

いろいろなコメントをいただきました。
読者の西岡育子さんからこのようなコメントをいただきました。


****************************

永松先生。とても分かりやすく表現していただいてありがとうございます。

政治は難しくて私もどの党が好きとか嫌いとかすでに分かりにくくなってますが、
結局どれくらいの内容の濃さを学んだり経験しているか、
と言うのも大きいものかもしれませんね。

モチロン脱原発に向かうべきだとは思いますが、
そこにはエネルギー問題だけが乗っているのではないような気がします。

資源のない日本の国力の問題。他国から日本を守る。そういうこともあるのだと思います。
どのように他国から守りながら国内の安定を図ると言うことは、
政治のことをほぼ知らない私には解りませんが。。。

そしてその深さをどれくらいの政治家が解って動いているのかも解りませんが、
自民党が若い議員にも叩き込まれているのかも知れませんね。
それを生かした新しい政治をしていただきたいと思います。

そして、今までの時代のように政治家に任せておく時代ではなくなってしまっていると思います。

自分たちはちゃんと理想を掲げながらそれに向かってどのように生きて行くか。

一人一人の意識や行動が、政治家の活動よりもはるかに大きな波やうねりをもたらしていく時代になってくのではないかと思います。
未来を担う若者や子供たちのためにも私たちの世代が、
しっかり橋渡しをしなければ。と思う今日この頃です。

*********************************

このようなコメントでした。


素晴らしいお考えだと思います。

確かに原発の問題、エネルギー問題は、これからの日本の将来、
世界の将来の中心的問題だと思います。

なぜならば、もし同様なことが起こったら、あらゆることが麻痺し、
政治も経済もあらゆる前提が崩れ去り、カタストロフィー的に崩壊する、
それだけの根幹的大問題です。

他のエネルギー資源と根本的に異なり、
その性質上完全には制御ができない原発は、
未来のエネルギー源としては、廃止する以外ないと思います。


しかしながら、それをどのようにして実現していくのか?

世の中は、あらゆることが密接に濃厚に絡みあっていて、
あちらこちらに思いもかけないような深い連関があるものです・・・というか、深い連関だらけです。
なぜならば、あらゆることは繋がっているのですから。


理想を語ることは「簡単」です。難しくありません。

問題は、理想をどのようにして実現するか、です。
その手立てを含んだ豊穣なる理想なのか、
それとも口先だけの痩せこけた理想なのか、
その違いは極めて大きなものがあります。


自民党は、良くも悪くも体育会系です。
特に新人議員に対しては、
非常に厳しく勉強会が毎日朝から晩まで大量に、
隙間なく埋められ、その間に挨拶回りがあります。
それをずっと持続し続ける「伝統の力」は大したものです。


自民党は、内部の革新を許容する度量がそれなりに大きいです。
自らを革新する力は、案外侮れないものがあります。


ただ・・・・・いろいろ書いていますが、私は自民党が好き、というわけではありません。


それはともかく、
新内閣に期待するしかありませんが、
環境大臣、原子力防災担当大臣に、よりにもよって石原伸晃とは・・・

総務大臣に内定していたのに石原を嫌う麻生副総理が難色を示したので横滑り、
という噂ですが、それにしても
環境、原子力防災大臣とは・・・ちょっと絶句です。


以前に問題になった「福島原発サティアン」の「失言」ですが、
ちょっと調べるとWikipediaにはこのように書いています。

**********************

2012年9月13日、TBS系のテレビ番組にて、東京電力の福島第一原発事故により汚染された土壌の保管先について「福島原発第一サティアンしかない」と発言[22]。

サティアン(サンスクリット語で「真理」)とはオウム真理教がサリンを製造していた施設の名称でありかつ、普段から使っていないと出てこないような奇怪な表現であるため「配慮を欠く発言との指摘も出かねない」と批判的に報じられた[22]。

また参議院議員の佐藤正久はツイッターで、「石原幹事長、ちょっと言葉に気をつけた方がよい。第一原発で安全化のために酷暑の中で働いている方々はどう思うだろうか?」と述べた[23]。

9月13日夜、石原自身はこの失言について「福島第一原発というつもりだった。単なる言い間違えだ」と釈明したが[24]、これに先立つ2011年6月6日放映のテレビ朝日系『ビートたけしのTVタックル』でも、汚染土壌の保管先について「福島第一原発の『サティアン』のあるところにしか持っていけませんよ!」と発言していたことが指摘されている[22]。

**********************


高校時代の彼の言動を直接知る者として、政治家になってからの彼の言動に、
何か変化や成長の跡があるのかを、祈るような気持ちでじっと注視してきました。

今のところは、相変わらず、という印象です。

サティアン発言は、完全に高校時代のままの「のり」・・・
そう、彼はとても軽量級の「のり」の人です。


彼は確か体育会少林寺拳法部に所属していましたように思います。

体育会にはいろいろな長所短所があります。
確かに年長者に対する礼儀作法には良いところもあると思いますが、
なによりも、「弱者に対する根拠のない横柄さ、傲慢さ、思いやりのなさ」
が支配的になりがちです。

いわゆる「強者」が「弱者」をいじめたり貶めることを愉快がる、
という文化です。
(もちろん本当は「弱者」や「強者」などないのですが・・・)

彼はそういう浅薄な文化にどっぷりと染まっていたので、
心配していました。


ただ、今のところは成長の跡がない、と思わざるを得ません。

それが、大臣就任の時に前任者との引き継ぎを行わない、というパフォーマンスです。
極めて下らないと思います。

どのような思いでこのパフォーマンスを行ったか分かりませんが、
下らない、という以外ありません。


高校時代と変わらない・・・

仕方がありませんね・・・


これ以上、混乱を招いたり、舌禍事件を起こさないように祈ります。

2012年12月22日

自民党が結果として「脱原発」を実現する!?

お早うございます。


選挙の後、いろいろなことが動き始めました。

最大の関心事、原発問題、
これからどのようになっていくでしょうか?


自民党は、脱原発を公約にしていた公明党と協議し、
「厳格な基準をクリアしている原発については再稼働を容認する」
という方針を打ち出しました。


そうすると、当然ながら
「やっぱり」
「経済優先」
「人命より金儲けか!」

という声が聞こえます。

その声は当然だと思います。


とにもかくにも原発稼働ゼロを一旦は実現した民主党、
そして脱原発への期待を一身に背負った未来の党が結果的に惨敗。

本当に暗澹とした方が多くいらっしゃると思います。


・・・ただ私は、実は必ずしも暗澹としていません。


なぜか、というと、
私たちが歴史に学ぶならば、
「理想的、急進的な政策は長続きせず、転覆し真逆になる」
からです。


民主党が「脱官僚」を打ち出した3年前を思い出してください。
「官僚は諸悪の根源」という稚拙な考えから官僚を無視して、
官僚を使わずに政策を遂行しようとしたら、
結局どうなりました?


官僚の持っている巨大な力をうまく御するのではなく、
官僚はまるで存在しないかのように振る舞い、
完全に無視し、
議員だけで全てを行おうとしました。


あたかも全ての臓器を無視して、
脳の一部だけで人間活動のすべてを行おうとしたようなものでした。


その結果どうなったでしょうか?

もちろんうまくいきませんでした。
まったくうまくいきませんでした。

何も機能しないことを思い知らされました。


しかし、それだけではありません。
もっと重大な教訓があります。


脱官僚どころか、
官僚をうまく使って御するどころか、
結局、完全に官僚の言いなりになり果てました。

圧倒的に無知だったからです。
空虚だったからです。
無知からの机上の計算、机上の「理想論」でした。

だから「真空地帯」に入り込まれてしまったのです。


実際に行政を行っていくには、
分厚い知識の厚みが必要です。

薄っぺらい表面的スローガンでは、
最初の一瞬しか乗り切っていけません。
無数の民が無数の人生を生きているのです。
本当の知識を持っていなければなりません。


自民党には、民主党よりは遥かに厚みがあります。
本来持っていなければならない厚みからすれば、
まだまだ薄っぺらいことには違いありませんが、
まったく薄っぺらい今の民主党よりはマシでしょう。


しかしまた一方、マイナスの体質も分厚いです。
へばりついたヘドロのように分厚く堆積しています。


あらゆる利権がぶ厚かった「古き良き時代」に戻りたくて、
うずうずしています。
潤沢な公共事業、原発建設、など、
あらゆる「利権」に敏感で群がった時代を復活させたい人が
たくさんいます。


でも議員がそれを望んでいるというよりも、
利権関係に利害のある我々国民、選挙民が、たーくさんいるからです。

しかし、自民党は3年前に大敗し、
議席的には大勝したといっても、
今回も支持率はほとんどまったく上がっていません。


幸いにも、自民党議員の多くは、
国民は古い自民党の復活を望んでいるわけではまったくない、
ということを知っています。

次の参院選は半年後に迫っています。
そして、遅くとも4年後には次の衆院選が来るのです。

表面的な大勝にヌカ喜びしていい加減なことをしていると、
次の選挙では完全にひっくり返される、
今回の民主党のように、
ということを恐ろしく実感しています。


ここに期待をかけるしかありません。
そして、結果として、本当の意味で幸福の質と量、
つまり「国民総幸福量」が上がっていくことを、切に望みます。


一昔前、よくこのように言われました。
「日本は、実質的に世界最高の共産主義国家である」と。
つまり、日本ほど共産主義の理想、つまり富の平等な分配を成し遂げている国はない、
ということです。(一億総中流と言われた一昔前の話です)


それを共産主義とは一見真反対のイメージの自民党政権が成し遂げたのです。


10年後には、結果的に日本が世界で最もスムーズに
脱原発を成し遂げた、
というようになって欲しいものです。

脱原発に最も消極的であったように見えた自民党が、
結果的にスムーズに脱原発を成し遂げた、
というようになって欲しいものです。


でも成し遂げられるはずです。


「資本主義」を唱えながら
「共産主義」を成し遂げた自民党であれば!

2012年12月17日

選挙

お早うございます。


選挙が終わりましたね。

マスコミの予想通り、自民党の圧勝でした。

よく言われるように、
「自民党が勝ったのではなく、民主党が負けた。」

というのは、その通りなのでしょう。


・・・・・

私自身は「原発即刻廃止」を強く願っています。
多くの理由からです。


私は人間を信じていますが、
イデオロギーは信じておりません。
いかなるお題目も信じていません。

例えば、「平和主義者」の多くに見られる好戦的態度、
「タカ派」の多くに見られる表面的な威勢の良さと裏腹の未熟さ・・・

イデオロギーは何も真実を語りません。


今回の自民党大勝によって、
「経済優先で原発推進に向かってしまう。」

という人もいますが、
私はそう単純ではないと思っています。

国民から積極的に信任されたわけではない自民党が
これから何をどうするのか?


多くの諸問題に対してどのように軟着陸していけるのか・・・
まずはそれを見守りたいと思います。


自民党といえば、高校の同級生の石原伸晃は、
TV での発言を見る限り、
高校時代と何も変わっていないように見えますが、
そのうち大きな成長を見せてくれることを祈っています。


先日、自民党幹事長の石破茂さんの経歴を見て、少し驚きました。
小学校と中学校を山口に書き換えるだけで、同じ学歴になります。
そして、もう一つとても重要な類似点がありましたが、
それは ヒ ミ ツ です。

ただ、今までいろいろな映像を見て強い興味を持っていました。
(実は次女にも見せたのですが、全く興味がないようですが・・・)


それはともかく、いろいろな意味で石破さんには注目しています。
どの程度まで中身がある人なのか、
権力の中心に座ったら、実際に何をどこまでできるのか、
注目しています。

そして、着実に地球を幸せにすること、
脱原発、を結果的に実行してくれることを、
強く願っています。

それができる人だと思うから。
いや思いたいから。


最終的には結局それ以外の道はないのですから。

2012年12月15日

「お客様は神様です」の真相と教訓 

お早うございます。


昨日書いた、「お客様は神様です」の意味
読んでいただけましたでしょうか?

https://hahnemann-academy.com/blog/2012/12/post_443.html


このことは、2つの教訓を教えてくれます。

1つ目は、「また聞きには要注意!」
です。

人は自分というフィルターを通してしか理解することはできません。
ですから、自分が「聞いた」「理解した」
ということは、全て自分のフィルターを通して編集されたものに過ぎません。

ですから、他人の言葉をどう理解したのか、
ということと、
その人がどういう意味で言ったのか、
ということとは、
まったく別問題です。

自分が確かに聞いたことでさえ
自分というフィルターを通した「歪曲された理解」なのですから、
ましてや、他人から聞いた話や報道されたことというのは、
よほど注意してそのフィルターや編集を外していかないと、
ありのままからはどんどん離れていきます。


このことは、非常に注意する必要があります。
とんでもないトラブルに発展しますし、
人生を大きく損ないます。


2つ目は、「伝わり方を自分で工夫せよ!」
です。

遠藤晃先生から聞いたことで、
なるほど! と目からウロコだったことでした。


例えば「ホメオパシーとは何?」
を説明しようとする時、
説明する側が、できるだけ正確な説明をしようとします。

それは当然です。
できるだけ正確に伝わって欲しいから。

そして、そのまま人から人に伝わって欲しいと願います。


でも、それがかえってアダになってしまうのです。
なぜかというと、
ホメオパシーの専門家は、ホメオパシーについて、
たくさんのことを知っています。

でも聞く人は、ホメオパシーのことを知りません。
だから、どんなに詳細に正確な説明をしたとしても、
聞く人に残るのは、
がっかりするほど不正確なことしかなかなか残りません。


でも、自分自身のことを考えればそれも仕方がありませんね。
自分がまったく知らない分野の専門家から
どんなに正確な説明を受けても、
自分のフィルターはその分野については非常に粗く、
非常に不正確な記憶しか残りません。


ではどうすれば良いのか?


それは、「このように伝わって欲しい」
という言葉を予め考えて、それを伝える、
ということです。

つまり、正確な説明だけを心がけていると、
それがどのように伝わるか、は、
すべて相手任せになっています。

自分はどのように正確に説明するか、ということばかり考えていて、
相手にどのように伝わるか、という最も肝心なことは、
結果として完全に相手任せ、になっているのです。

そうして、とても不正確な表現が、人から人へ伝わってしまいます。


これではいけません。

人から人にどのように伝わって欲しいか、ということを、
専門家自身が予めきちんと考えて、
それを伝える、ということが大切です。


これからのホメオパシー、
楽しみにしています!

2012年12月14日

「お客様は神様です」の意味について

昨夜、ちょっと不思議な講演会・・・を経験しました。


http://ameblo.jp/myrah-kay/image-11426487791-12328933443.html


数日前、知人から横綱白鵬」の講演会がある、と聞いて、
新宿文化ホールに行きました。

青山で2時間ほど楽しい打ち合わせを済ませ、
神宮前から東新宿に歩きました。

10kgオーバーのカバンを持っていましたが、
案外スイスイ楽しく歩けて、無事に着きました。


さて、この講演会は、なかなか不思議な会でした。

確かに白鵬は登場し、
白鵬の話はそれなりに楽しいお話でした。
奥様とのエピソードも、へー という感じで、楽しかったです。

しかし、白鵬の講演会というよりも、
他のゲストの方の比重の方が高いように感じました。


最初は五十嵐由人さんという方の講演から始まりました。

この講演は、なかなか面白く、不思議な講演でした。
どんな方か全く予備知識が無かったのですが、
話の内容は、まるで宗教団体の方のような話でした。
(悪い意味ではありません)

独特の迫力があり、グググっと盛り上がってきて、
キタッ  キタッ と思うと、
アレアレ? 突然盛り下がる・・・

というように、何か不思議なチグハグさがありました。
でも、内容はなかなか聴かせる内容で良かったです。


2組の歌手がいらっしゃって、
マヒナスターズという懐かしい顔。
40代のような色艶ですが、もう68才とのこと。
驚きました。


そして、先ほど講演された五十嵐由人さんが、
今度は演歌歌手 大和晃三郎さんとして登場。

後半はコンサートみたいでした。


この講演会は、わずか1ヶ月前に立案されたらしく、
そして当日のリハーサルも無きに等しかったようで、
カラオケの曲が出てこなかったり、違う曲が出てきたり、
いろいろとチグハグでお粗末なところはありましたが、
プロではなくボランティアの方々だったそうなので、
それはそれでご愛嬌。

「他山の石」としなければ、と思いましたが、
それはそれとして、ハッとした大きな収穫がありました。


大きな収穫というと、大げさかもしれませんが、
この歌手の五十嵐由人さんは、
三波春夫さんのお弟子さんだったそうで、
三波春夫さんのお話がいろいろと出たのです。


三波春夫さんというと、「お客様は神様です」
というセリフが有名です。
そしてその意味は、「拝金主義」のように受け取られていることが多いようです。

「お客は神様なんかじゃないぞ!」「客ならば何をしてもいいのか?」と。

でも、この言葉は三波春夫自身が言った言葉でもある、と言ったら
驚きますか?

三波春夫さんは、「お客様は神様です」というセリフを、
拝金主義のように思われてしまうことを、随分と迷惑に思っていました。

実際にはこういうことだったそうです。


「ステージから客席を見ていると、
歌を聴いてくださるお客様のお顔は本当に輝かしく
尊いお顔をしていらっしゃる。

まるで神様みたいだなあ。素晴らしいなあ。」


これが縮められて
「お客様は神様です」

となってしまったそうです。


え!!! そういう意味だったんだ!!!

この事情を知った上で、「お客様は神様です」
と聞くと、全く異なった、素晴らしい言葉として素直に伝わってきます。


その違いは甚だしいですね。


そういえば、石田純一が「不倫は文化」と言ったことになっていますが、
その時の実際の映像にはそんな言葉は一言も言っていません。


プロアマのゴルフ大会で、レポーターが追い回して、
彼の不倫スキャンダルについてしつこく質問をした時に、
「人ってさあ、それぞれ一人一人、価値観とか文化というものがあるでしょう?」
と言っただけで、
「不倫は文化」と石田純一が言ったことになりました。


又聞きというのは、怖いものです・・・


つづく

「頑張る」という言葉について

今、卒業生の Yokoko Kiss さんがとても素敵なことを書いてくれました。

「頑張る」という言葉についてです。

http://ameblo.jp/chandeleur/entry-11426928503.html


最近は、「頑張ってね」というと、
「私はもう頑張らないことにしました。」
と「決まり文句」みたいな言葉が返ってきて、
ガクッとなることが多いです。


私が「頑張らない」ということについて最初に聞いたのは、
11年くらい前でしょうか・・・

ホメオパシーの生徒でもあり、
ガンの専門医として有名な帯津良一先生と話していた時、
女優の東ちづるさんがとても好きだ、と言われました。


帯津先生が東ちづるさんを大好きになったきっかけは、
彼女がどこかの大災害・・・阪神大震災だったか・・・
に慰問に行かれた時のことだそうです。


被災された方々が、
「こんなことになってしまって・・・でも頑張ります」
と言った時、東さんはこう言われたそうです。


「皆さんは、今まで十分に頑張ってこられました。

もう皆さんは頑張らないでください。

これからは私たちが頑張ります。」


東さんはそう言われて、
多忙なスケジュールを全部キャンセルし、
スタッフたちと一緒に1週間以上泊まり込みで
地元の方々に混じって地道な作業を黙々とされ、
それ以降、しばしば突然訪れて作業を手伝ったり、話を聞いたり、
大きな力になられたそうです。


素敵だなあ!!!

私もすっかり東ちづるさんのファンになりました。

2012年12月07日

「ベルリンの壁」

お早うございます。


ホメオパシーの基本原理は、
「健康な人に投与して、ある症状を起こせるものは、その症状を持つ人を治すことができる」 です。

そして、ホメオパシーの基礎となるプルーヴィングは、
健康な人にある物質を投与して、何が起こるのかを検証します。

プルーヴァー(レメディーを摂る人 以下PV)と、
スーバーヴァイザー(プルーヴァーの様子を観察し記録する人 以下SV)
とに分かれます。


ちなみに、ホメオパシーのプルーヴィングは、
150年前からダブルブラインド (二重盲検法) で行われています。
つまり、PVもSVも、レメディーが何であるか知らないし、
その中にはプラシーボと呼ばれる、ただのラクトースも含まれています。

二重盲検法は、いわゆるプラシーボ効果、
ごくごく簡単に言えば「鰯の頭も信心」の効果を排除する方法として、
現在では科学のスタンダードになっていますが、
現代医学で取り入れられ始めたのは、ようやく1930年頃です。
ホメオパシーでは、1870年から80年にかけては、
常識になっていましたので、
ホメオパシーは現代医学に先立つこと、何と半世紀で以上です!

ただし、私の個人的見解としては、
二重盲検法は、「下らない!」と思っています。

つまり、「最悪を避ける」には良いかもしれませんが、
「最高を目指す」にはまったく適さないからです。

ただ、このことは、今は置いておきましょう。


レメディーを投与したのは10月ですが、プルーヴィングを始めたのは9月です。
9月にSVはPVのケースをとる、つまり正式のセッションと同様にお話を聞きます。
そしてPVの慢性的状態をつかみます。

「完全に健康な人」はいないので、
いろいろな症状が現れた時に、
はたしてそれがプルーヴィングの症状なのか、
それともその人の慢性的症状なのか、
それを判断できる基準を作るためです。


そして、いよいよプルーヴィングの日になりました。
10月14日でした。

レメディー摂取は、基本的に1回ですが、
3時間経って、特に変化が感じられない場合には、もう一度摂ります。
そして、更に3時間経っても変化が感じられない場合には、もう一度だけ摂ります。

それ以降は、追加のレメディー摂取はしません。
つまり、最大限3回までです。

もちろん、プルーヴィング中の1ヶ月、その症状についてはSVに対する以外、
一切他言無用になっています。


PVが午後1時にレメディーを摂った後、PVとSVはできるだけ長く一緒に過ごします。

そして、3時間おきに2回ほど全員が集まり、
レメディーを更に摂る必要があるかどうか、わからない人は、
個別に私と話をして、
更にレメディーを摂るべきかどうかを決定します。


この時に、このプルーヴィングがどの程度成功したのかが、大体分かります。
明確に症状が現れたPVは、迷わず再摂取はしませんし、
症状が全く現れなかったPVもまた、迷わず再摂取します。

新しい症状が現れたような、現れていないような曖昧な人だけ相談に来ます。

そして、レメディーを摂って3時間後、迷っている人は非常に少なかったのです。


この時、私はぞくっとしました。

この「ベルリンの壁」のレメディーは、私の勝手な憶測に反し、
どエライ力を持っている・・・・・と直感したのです。

何かすごいことが始まろうとしている・・・


続く

2012年12月06日

特殊なレメディーのプルービング 

お待たせしました。プルービングの話ですね。

https://hahnemann-academy.com/blog/2012/11/post_436.html


今回のレメディーは、何と・・・・・「ベルリンの壁」です!

え! 何それ? そんなものがレメディー?
という方はとても多いと思います。

もちろん私もそうでした・・・今はもう過去形ですが・・・


ホメオパシーのレメディーは、基本的に動物、植物、鉱物がほとんどです。
例外として不可量物(X線や月の光など)もありますが、例外的です。

ホメオパシーレメディーの多くは、「毒性」が強いものから作られます。

「毒」と「薬」とは、言葉としては意味が反対ですが、本質的には同じものです。
その本質とは、「生きとし生けるものに影響を与えることができる」ということです。

その影響が都合の悪い時には「毒」と呼び、
都合の良い時には「薬」と読んでいるだけで、
「毒」になるか「薬」になるかを決定するのは、ひとえに「量」だけです。

お酒が「百薬の長」と呼ばれるように、お酒も適度であれば「薬」になりますし、
過ぎれば「毒」になります。

ですから、ホメオパシーのレメディーも、蛇の毒やヒ素など、
「毒性」の高いもの、つまり「薬効」が高いものを使っています。

そして、希釈震盪という特殊な方法で、そのエネルギーを顕在化させます。
顕在化というところから、Potentizationと呼ばれます。


今から15年前、ある人が「ベルリンの壁」のレメディーを作り、それをプルービングした、と発表し、
ホメオパシー界に非常に大きなセンセーションを巻き起こしました。

一部の人は拍手喝采を送りましたが、
それは極く一部で、ほとんどは拒否反応に近いものでした。

そして、激しい非難をしました。


私も同じような反応だったと思います。

「ベルリンの壁」には確かに巨大な悲劇があり、悲しみがあり、愛と憎しみがあり、対立があり、
分離があり、人間のバカバカしさがある。

しかし、単にベルリンの壁に使われたレンガからレメディーを作るだけで、
ベルリンの壁の巨大な意味を抽出できるとは到底思えない。
そんな安易な方法でできるはずはない、というのが私の大まかな思いでした。


動植物鉱物には、それ自体にその動植物鉱物の全歴史があります。どの個体にも。
一つ一つの個体に宿る歴史は、実は宇宙開闢以来の全歴史なのです。

しかし、ベルリンの壁に同じことが言えるとは到底思えない・・・それが私の考えでした。


しかし、その考えは完全に打ち砕かれました。

つづく

プロフィール

1958年生まれ。山口県出身。ハーネマンアカデミー学長。慶應義塾大学工学部卒 業後、コロンビア大学、パリ大学で哲学、文学、物理学専攻。家業の鉄鋼業を経 営するうち、金属の変容・変態と人間の変容との類似に気づく。英国にわたり、 ホメオパシーと出会う。1997年、ハーネマンアカデミー設立。日本ホメオパシー 振興会主宰。

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