Adam Martanda 氏

Adam Martanda 氏

  • RSHom (Register of Society of Homoeopaths )
  • 英国ホメオパシー協会会員
  • Soluna School of Homeopathy学長
  • Hahnemann Academy 英国本校名誉教授、顧問

若い頃海軍軍人として日本以外の極東全地域を回り東洋文化に魅了される。その後国際的デザイナーとして長らく活躍し、またダービー大学で美術・デザインを教えていたが、たまたま受けたホメオパシー治療にいたく感銘し、名教師として名高いMisha Norland氏にホメオパシーを学ぶ。持ち前の広い視野と深い洞察力で世界的名医との定評を得る。Goethe、Steiner、Feynman(ノーベル賞受賞物理学者)、仏教、錬金術、神秘学、詩、ガーデニング、写真、スポーツカー、美味しい料理、ワイン、マッキントッシュ・コンピューターを愛する粋人でもある。

昨年の4月の公開セミナーより

(中略)

さて、こちらから皆さんに質問を提議したいと思います。「ホメオパシーとはいったい何でしょうか?」

ある意味では、今日私はこの質問に答えを出そうとしているわけです。でも答えるのは私だけではありません。皆さんもある段階では、自分自身の答えを出さざるを得なくなります。もし可能であれば、「ホメオパシーとは何であるか」について、私がどのように理解しているかをできる限りご説明したいと思います。しかし、もちろん私の理解そのものを皆さんに「差し上げる」事はできません。しかしひょっとしたら、皆さんが皆さんなりの答えを出せる上で、私が「助け」になる事ができるかもしれません。

今までの段階では、ホメオパシーが「医学の体系」であるかのような話の仕方をしてきました。確かに医学の体系でもあります。しかし私の理解では、ホメオパシーにとって医学の部分というのはホメオパシー全体の中の一部なのです。

私は最初、患者としてホメオパシーというものに関わり始めました。二十年前の事ですが、死にかけた事があります。その時、現代医学によって私は生存する事ができました。しかし私の病を「治癒」する事はなかったのです。治癒してくれたのはホメオパシーでした。私は非常に深い感銘を受け、その後このホメオパシーに関わり始めたのです。

(中略)

病気、病というものは、本当はスピリチュアルなレベルから始まります。という事は、病は私達の存在の中でも最も高次元で解決され、治癒されなければいけない。つまり究極的にはそれは精神を超越した、より霊的なスピリチュアルなレベルで解決されなければいけないということです。症状というものは、自分の中にある「存在のあり方」の病を表現しているにすぎない、という事です。

私の考えでは、「病」というものを肉体のレベルだけで見てしまうということ、霊的な側面を無視してしまうために現代医学では慢性的な病を治癒することができないと私は理解しておりますし、信じております。しかし、今の段階で非常に明確にしておきたいことがあります。私はいわゆる正統的な医学を批判しているわけではないということです。正統的な医学界で働いている人達は、素晴らしい事をしています。実際にこの正統的な医学の治療を受けなければ私はここに立って皆さんにお話することができませんでした。しかし同時に同じくらい強く確信していますが、私の本当の治癒というものは、ホメオパシーに遭遇して初めて始まったということです。私の場合、確かに現代医学の抗生物質を飲んだために、生き延びることができました。ホメオパスを見つけるだけの時間を、それによって得ることができたわけです。そして、そこからホメオパスに出会うことによってそのワークが次の段階、更に深い段階へと進んでいったのです。ですから実際私のこの肉体的な存在というものはこの正統医学によって得られたものであると公言したいのです。しかし同時に私のスピリチュアルな霊的な存在というものは、ホメオパシーによるものだと思います。つまり私の魂、スピリットは肉体の中にいるということになります。私が言っていることお分かりいただけますでしょうか?

これから私たちが探究していきたいのは、「病」とは、「幻想」もしくは「妄想」の状態であるということ、この考えを探究していきたいのです。これが病気だと私達が通常認識している症状というものは、ホメオパシーの言うVital Force 生命力の「表現」であるいうことです。自分の中でどこかうまくいっていない事があるということ、それを自分の意識の中に「紹介」しようとする最善の試みだということです。ですからこの症状というものは敵対視されるものではありません。むしろ私共の友達であるというようになるべきものだと思います。

自分の人生の中で病があるということ、英語ではこれをdisease (dis – ease)と呼んでますが。心地よさがない状態、安楽な状態が欠如しているということです。症状の方が「こちらの方に着目してください」というふうに私達に伝えているわけです。「目覚めなさい」と言っているわけです。「こちらの方を見てください」と言っています。あなたの人生の中でどこか間違ったところがある、どこかおかしいところがあるというふうに指摘しているのです。ちょうど誰かが私達に怒鳴りかけているようなものです。このリアリティー、「実体」に目覚めさせるために私達に呼びかけているようなものです。今までひょっとしたら私達がまだ経験していないような「実体」に目を向かせようとしているかもしれません。ひょっとしたら私達は「間違った」場所、「間違った」家の中に住んでいるのかもしれません。ひょっとしたら、「間違った」職業に就いているのかもしれません。ひょっとしたら「間違った」人と結婚してしまっているのかもしれません。何れにせよどこかつじつまの合わない状況に自分がいるということです。そこで心身が様々な症状を生み出して、そちらの方に目を向けさせようとしているのです。

(中略)

これが私のホメオパシー実践の基礎となるものです。患者さんの最も中心的な「妄想」「幻想」が何であるか、それを見る必要があるかもしれません。その病を解放させるために。私にとってホメオパシーについての最も基本的で真実の概念は、自分の中心的な幻想あるいは妄想はいったい何であるかということを知るための「手段」であることです。そして、もし私達の方が「選択」すれば、私達はそれによって自分の病を癒していくことができるのです。・・・これは何か「気が違ったような」発言に聞こえるかもしれません。それは私も理解しています。

(中略)

ホメオパスとの面談の時間は、かなりかかる場合があります。What needs to be cured? 「何が治癒されなければならないか」をホメオパスが理解するための時間が必要なのです。ホメオパスは現代医学のドクターとは違います。例えばインフルエンザと「呼ばれる」症状の患者さんに抗生物質を処方するお医者さんとは違うということです。以前も申しましたが、症状とはVital Force 生命力が、人生において何か解決しなければならないことがありますよ、ということを教えてくれるベストな方法なのです。そして、たまたまインフルエンザという形で現れているということなのです。

では、インフルエンザとは何でしょうか? 様々な症状が組み合わさったものですが、多くの場合に多くの人が共通して感じることのできるような症状です。そして抗生物質というものを与えられることによってその症状は取り除かれるように「見えるもの」です。しかしただ単に症状を「取り除く」ことは「治癒」ではありません。ホメオパシーでは、ただ単に症状を「取り除いてしまう」ということは、人が人に為しうる「最悪のこと」の一つなのです。

なぜならば、症状を通してその病の本質というものを伝えようとしているからです。病の本質というものは、その症状を通して出てきているのです。ただ単に症状を「取り除いてしまう」ということは、「都合の悪いものは失せろ!」とばかり、最も重要な手がかりを手の届かないところに押しやろうとするだけなのです。そして患者さんに対してのベストな奉仕がもはやできない形になってしまう・・・逆に「害」を加えてしまうような形になってしまうのです。

質問:ホメオパシーでは症状を「取り除く」ことは最悪だとおっしゃっていましたが、例えば火傷してしまった時、「そのあなたのあり方が火傷を引き起こしているんだよ」、とそういうレメディーを処方するよりも、とりあえず火傷という症状のためのレメディーを処方するような感じがするんですが・・・ただ単に症状を取り除くのは最悪のことである事、症状には病の本質が表現されているということは「知識」としては知っているのですが、「お腹が痛い」と言っている人には、やはりお腹の痛みを「取る」ことをつい考えてしまいます。そのあたりの繋がりに関して説明頂ければ有難いのですが。

まずご質問頂きまして、有難うございました。なぜならば、ご質問頂いたことにより、病気の中で急性のもの、例えば火傷のようなものと、慢性的なものを識別することができるからです。

例えば、ここに小さな子供がいたとします。階段から落っこちてしまった子供がいたとします。ひょっとしたらこのお子さんは毎週このようなことをやるのかもしれません。そして階段を落ちる度に頭にあざを作ってしまいます。これは病気、病の中の急性のものなのでしょうか? それとも慢性の病気なのでしょうか?

これはいわゆる病気と呼べるものでしょうか? ひょっとしたら、この状況というのは両親の方が完全に子供に指示を与えていない、その教育をしていないことによって起こっているのかもしれません。家族の中で何らかの要因があることによって、子供がそのような状況を続けるような状況を許容しているのかもしれません。ですからまず全体像、状況の全体を最初に見なければいけません。そして同時に子供が階段から落っこちた結果、泣いているということを無視するということではありません。頭にあざを作っているということを無視するわけではありません。子供が指を切ってしまったということ、お腹が痛くて苦しんでいるということを無視するわけではありません。これらのことを無視するということではないのです。 そして、もちろん! 子供にずっと続けて階段から落ちるようなことをさせるというようなこともしないのです。

例えば、一回だけそのようなことが起こったとすれば、それは事故なのだというふうに言うこともできます。そして子供を慰めて、もしかするとレメディーを与えるかもしれません。でも、例えば同じお子さんが毎週クリニックに連れてこられたとします。そして毎週同じレメディーを与えたとします。このような時、私達は子供の病を治癒しているというふうに言えるのでしょうか?

私は「していない!」と言います。ただ、その症状の一番表層のところを取り除いているだけに過ぎないのです。つまり治癒というものを生み出していないということです。頭が痛い時にアスピリンを与えて飲むのと同じことです。あなたへのお答えになっているでしょうか? 少なくとも、部分的にはお答えになっているでしょうか? それとも完全にお答えになっているでしょうか?

もう一つの部分のお答えを続けさせていただきます。症状の原因をまず区別させます。例えば、子供がアルコールを少し飲んでお腹が痛くなったとします。その時はまず、その状況・環境からアルコールを隔離します。そうすることによってもう二度と同じことが起こらないようになるわけです。まず、子供が置かれている状況・環境に働きかけます。様々なレベルで子供が置かれている状況に働きかけをするということです。例えば、子供がアルコールを飲んだがために階段から落っこちて、頭にあざを作ったとします。ひょっとしたら、その子供は自分の父親がアルコールを飲んでいるので、それを見て自分も飲んでみようと思ったのかもしれません。これはあくまで例ですので、それを覚えていて下さい。アルコールを飲むということ自体は全く間違ったことはないわけです。自分が何をやっているかという認識さえあれば、お酒を飲むということは間違ったことではないわけです。しかし、子供の方にアルコールが何であるかということを理解することを期待することはできません。あたかもこれが本当のケース、症例であるかのように考えて、話を進めていきましょう。

先程、火傷という例をお話頂きましたけれども、ではその例を前提にして話を進めましょう。手に火傷を負った子供がクリニックにやって来たとしましょう。火傷を診察して両親の方に「なぜこのようなことが起こったのですか?」と訊いてみます。片や子供の方は火傷で痛いので、泣いているのです。子供がクリニックでずっと泣き続けているので、両親の方はそちらの方に気が散ってしまっていて、なぜこのようなことが起こったのかというのを上手く説明できない、そういう状況があったとしましょう。しかし、もう二度とこのようなことが起きないことを確実にするためには全体像、これがどのように起こったかということを全体像として把握する必要があります。例えば、急性の火傷の場合はCantharis というレメディーを与えます。そして皮膚のところに塗るクリームを処方したとします。そしてその結果、子供は痛みから解放されて非常に楽な状態に戻りました。この段階で両親の方に話すことができるわけです。

なぜこのような火傷を負うようになったか尋ねます。「以前にもこのようなことが起こったのですか?」と訊きます。起こったのであれば、「以前はどのようにそれが起こりましたか?」と尋ねます。例えば、親の方が「子供がストーブの所で遊んでいて火傷をしてしまった」と答えたとします。例えば、一カ月に一回、毎月毎月このストーブで火傷する状態を繰り返していたとします。では「なぜそんなに頻繁にその子供がストーブに近づくことができるのですか?」と訊きます。例えば、親の方が「私はこの子と二人で暮らしていて、私が仕事に出ている時は誰も面倒を見てくれる人がいないから、子供が一人なのです」とか、そのような答えをしたとします。そこで、私達はまず心の中で問いかけをするわけです。「このケース、この状況の中で治癒されなければならないものは何なのか? 治癒される必要があるのは何であるのか?」です。

レメディーとクリームを与えることによって、この急性の火傷の方は比較的簡単に対処することはできます。しかし、その病を治癒するということにはならないわけです。例えば、この親が片親で子供と二人っきりで過ごしているということは一つの原因、要因ではないか? そうすることによって常に子供が熱い火のついたストーブの所に近づくという状況を作り出している。ご質問のもう一つの部分のお答えになっているでしょうか? もしくはまた別の質問が生まれてきたでしょうか?

まず、急性の状況の方は普通のお医者さんと同じように対処します。使う薬は違うものかもしれませんが、対処の仕方は同じです。私達の仕事、課されていることは同じだということです。なぜなら、私達の義務というものは病というものを健康な方に回復すること、導いていくことだからです。しかし、その背後、その根底には治されるものは症状ではなく、症状を生み出した何ものか、そちらの方に働きかけるということが基礎的な概念としてあるわけです。

究極的にはその症状の背後に何があるかということは、一生かけても解からないかもしれません。究極的には一つの魂がその状況、その人生を選んできたその理由というものが解からないかもしれません。ひょっとしたら、「前世」、もしくは「未来世」と呼ばれているものに何らかの理由があって、今世、この人生に於て、その魂はこの状況を選んで生まれてきたのかもしれません。ですから、このようなことは私達には結局のところ分からないので・・分かると主張する人がいることは十分承知しておりますし、確かに「分かる」人がいるかもしれませんが・・・推測しようとしても意味がないということ、それだけで私には充分だと思います。相手が何を言っているか、そしてそれがどのような意味があるのか、それを理解することができれば、この状況に於て、この環境の中に於て知ることができるということです。つまり、それはその患者が語っていることが私の方にとって、ホメオパスの方にとって何の意味があるかということではなく、語っている本人にとってどのような意味があるかということ、それを理解するということです。

「この子供の人生の中、環境の中で、どのようなところへ働きかけをしなければいけないのか?」「なぜ子供が定期的にストーブの近くに近づくのか?」「なぜ子供が定期的にストーブで火傷をするのか?」「なぜ定期的にクリニックに訪れるのか?」。このような状況をまず見て、そこに働きかけをする必要があるということです。そちらの方に着目して、知性を正しく使うことができれば、たいていの場合「何を治癒しなければいけないのか?」そして「本人がどのように自分を治癒することができるのか?」「どのようなことが本人にとって役に立つのか?」それを発見していくことができます。

ヒーラー、と呼ばれる私達が癒すわけではありません。もし私達が上手くこの仕事を取り組むことができれば、相手の方が自分自身を癒すことができる、その手助けをすることができるということです。人々が違った気づきを得ることによって、自分自身を自ら癒していくことができる、そのような方法がホメオパシーの中にはあると私は信じています。しかしこれはこれをするためにはこのケース、症例の中で何が癒される必要があるのか、それをこちらが完全に理解するということにかかっています。

今まで話をしていた子供の症例の方へ戻りましょう。そして私達は自分自身に問いかけをしていきます。この子供は火傷をする度に何を受け取っているのか? 火傷をする前に欠如していた何を受け取ることができるのか? 皆さんがどのようにお考えになっているか、それを聞きたいのです。火傷をする度に以前は得ることのできなかったもの、どのようなものを得ることができるようになるんでしょうか? どのような可能性があるのでしょうか?

生徒:お母さんとか回りの人の関心だと思います。

Adam:その他の方というのはどのような方でしょうか?

生徒:治療をしてくれるお医者さんとか。

Adam:私にとってこれは完全にクリアなものです。絶対的にクリアなことなのです。つまり、この状況を治癒することを続けていくために、ホメオパスとして私は母親にこのように言うでしょう。「あなたの子供が必要としているものはこれこれこういうものだと思います」というふうに伝えます。しかし、これは決してその親を「批判」するということではありません。批判的な方法でこれを伝えていくということでは全くないのです。この子供が火傷をしたのはあなたのせいなんだ、と言うことでは全くないのです。むしろその親にそして子供にこの状況の実態というものを説明していく、伝えていく、表現していくということです。

もし、子供がかなり大きくて言葉を理解することができていれば、子供にこう言うかもしれません。例えば、男の子であれば「君はお母さんの「注目」を得るためにずっと火傷をし続けなくてもいいんだよ」というふうに伝えます。

同じことをやるのにも、もっとクリエイティブな、創造的なやり方があるというふうに伝えます。そして、お母さんの方には常にストーブをつけておく必要はない、熱いストーブのままさせておく必要はないと伝えます。そしてストーブが熱い時は必ず誰かに付いてもらうようにと伝えます。そして子供の方に熱い時にストーブを触るのは良くないことだというふうに伝えるのです。この子供がこれをずっと続けていくと、いずれはその母親の注目を得る ために最初は小さな火傷であったものがどんどんと大きくなっていってしまう、もしくは大きくする必要が出てきてしまいます。

私が言わんとしていることはその表層、物事の表面だけ、つまり指のところ、手のところの火傷の方だけに働きかけをしてしまうと、完全なる治癒というものを得ることができないということです。その患者さんの存在している状況の全体性を理解する、その段階に到達する必要があります。これをするためには患者さんのプロセスに関わっていくという意志がなければ、それをすることができません。つまり、別の言い方をしますと、患者さんの方が、自分が住んでいる状況、環境を変えるという意志があれば、ということです。そしてそれをする意志が患者の方になければ、私達は自分の時間を無駄にしてしまっている、浪費してしまっているということになります。実際にこのプロセスに患者さんの方が関わっていく意志がなければ、実際は相手に自分のお金と労力、時間を無駄にしているんだということを伝える義務があるというふうに私は思っています。

例えば、私のある友人が時々私の所に来て、「頭痛と腹痛があるんだ」と言うとします。そこで私は彼に訊きます。

「何をして頭痛になって、腹痛が出てきましたか?」そして彼はこう言ったとします。「実はウィスキーの瓶を、昨晩半分開けてしまってね。そしてカレーもたくさん食べてしまったんだ。そしたら本当に気持ち悪くなってしまった」と。

そこで私は「OK。ではこのレメディーを取りなさい」と勧めます。Nux Vomicaと呼ばれているレメディーです。

そしてレメディーを飲んで2時間後、彼は「気分が良くなった」と私に言います。頭痛も消えてしまったし腹痛も軽減された。そして帰って行って、次の日同じことをしてまた私の所に彼は戻ってきます。「また酒を飲んでしまったよ。だからNux Vomicaを下さい」と言うのです。私はとてもこの友達が大好きですので、「OK」と言って同じレメディーを与えます。そして同じことが半年繰り返されるわけです。

そして最終的に、「君はずっとこのレメディーを求めて何度も戻ってくるけれど、カレーを毎日食べてウィスキーを毎晩のように飲むのを止めないと、この状況は改善されないよ」と私は彼に言うわけです。はじめは、ウィスキーの瓶を半分開けるくらいだったけれども、今は毎日一本空っぽにしてしまう、それぐらい飲む量が増えているわけです。

そこで彼に訊きます。「元々の問題はいったい何だい? どうしてこんなにウィスキーを飲むのかい? 友達として僕は君のことを大好きだけれども、このNux Vomicaをただ与えるだけでは本当に役に立つことはできないよ。なぜ君はそういうふうにウィスキーを飲んでいるんだい?」というふうに訊きます。

彼はこのように答えます。「実は昨年、自分の妻が浮気をしているということを発見したんだ。そのことに対して、非常に不幸な気持ちを持っている。そして気分を良くする唯一の方法はウィスキーを飲むことなんだ」と言うのです。

さて、ここで本当に治癒されなければならないものは何でしょうか? 言わんとしていることはご理解頂けますか? 頭痛でもないし、腹痛でもないのです。むしろ心の痛みなのです。そちらに何らかの働きかけをしないとならないということなのです。そしてホメオパシーではそれをすることが可能なのです。

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