ホメオパシーとは機械的でなく芸術的なもの 飽くなき旅、精製と変化

写真:David Mundy

30年間ホメオパシーを学んできました。ホメオパシーを学ぶ前は、何に自分の身を置くべきかわかりませんでした。当時はホメオパシーの深遠さを知らないまま、ただその哲学に恋をしました。ホメオパシーには不変の真理があり、その探求と理解には終わりがなく、常に学ぶべき何かがあります。何が真に癒されるべきかを見てとる、そのための方法はいつも新たに立ち現れます。ある目的地にたどり着いたと思うと、また新たな目的地への旅が始まる。決して飽くことはありません。

たとえるなら、ある部屋に歩み入ったとして、初めはすべてが新しく見えて混乱しますが、片づけたりするうちにその部屋にも慣れていき、慣れたころにまた別の部屋に入ってみると、また混乱して片づけなくてはならない、そのようなものです。新しいケースはいつも、より難しいケースとなります。そして行き詰まったときはいつも、基本であるハーネマンの哲学に戻ります。

全ては一人一人のものの見方から成り立ちます。偏見なき暖かい眼差しを持つことが大切です。判断を下さず、あるがままに受けとめていく。普段の生活で私たちは、これが好き、あれが嫌いといったように、沢山の判断を下しています。しかし臨床の場では判断を下さず、またはそのような感情を持ったとしても気づいてゆく技を磨かねばなりません。この技はArtとも言えます。ホメオパシーはArtであり、またScienceでもあります。Scienceを学びながら、Artの技も育てていかねばなりません。偉大なホメオパスはアーティストのようなものです。機械的でなく、芸術的な処方をするのです。

知れば知るほど、難しいケースに直面していきます。毎回違うレメディに出会う。これもアーティストに少し似ています。初めて絵を描きはじめるとき、まずはパレットに7色の絵具をのせる。少し経つと100色から選べるようになるかもしれない。これはホメオパシーでも同じで、私がとても好きなところです。

精製のようなもの、とも言えます。初めは、おおまかな形しか見えず、徐々に本質に近づいていく。芸術の比喩で言うなら、絵画を見て最初は誰の作品かわからなくても、何度も見ているうちに誰の絵かだんだんと見分けがつくようになる。違いを区別する、個別化してゆく力を磨いてゆくのです。そうするうちに、初めはグレー一色にしか見えなかったもののなかに、より様々な色あい、明るめのグレー、暗めのグレー、青みがかったグレー、そういった色も見てとるようになります。

ホメオパシーの学びでは、変化が必要です。変化しなければ精製されません。自身の偏見や既存の概念を手放していく。ふつう何かを学ぶことは、理解して既存の知識に組み込んでいくような方向性ですが、ホメオパシーでは何かをつかんでも再び手放していく、そういった変化が必要となってきます。