学長ブログ
トインビー 勇気の欠如とは
2024-09-16
アーノルド・ジョゼフ・トインビーという歴史家がいます。
20世紀最大の歴史家の一人として有名です。
彼の著書の一つに「歴史の教訓」という本があります。
若き日に感激したその本に、ハッとする言葉がありました。
勇気の欠如について、です。
「決断しなければならない時に決断できないのは、もちろん勇気の欠如である。
同様に、決断してはならない時に決断してしまうのも、また勇気の欠如である。」と。
なるほど! と強く思いました。
未だ決断してはならない時、未だ決断の期が熟していないのにこれ以上待てない、
宙ぶらりんの状態にこれ以上耐えられないために、不安が嵩じてエイヤー!と決断させられてしまう、
それもまた同様に勇気の無さである。
本当にその通りです。
この言葉は、ずっと長く今に至るまで通奏低音のように長く響き続けています。
ホメオパシーに於いても、人間の本質的性質として、Polarity「両極性」という非常に大きな概念があります。
人は何のこだわりもない真直ぐな道、すなわち「中庸」にいることが極めて困難です。
中庸とは、単なる中間点、単なる妥協点のことではありません。
本来の道、本来の場所です。
進むべき時に、不安、恐怖によって一歩も前に進めない心、これは分かりやすい「勇気の欠如」です。
しかしそのもまた逆も「勇気の欠如」である。
逆に行くのは、実はいとも容易い。
どんどん決断して実行してしまう。
何かしていないと不安で、居ても立っても居られない、どっしり巌(いわお)のようにじっとしていられない、
待つべき時に待てなくて、手当たり次第に前に踏み出してしまう不安定な心。
朝令暮改。ころころと言うことが変わる。
それは一見勇気を発揮しているように見えるかもしれないが、実は勇気の欠如である、と。
思い出すのは、「風林火山」という言葉です。
それはまた明日
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