学長ブログ

対談に思う 森有正著「バビロンの流れのほとりにて」

2024-10-08

「一つの生涯というものは、その過程を営む、生命の稚い日に、

すでに、その本質において、残るところ無く、露われているのではないだろうか。

僕は現在を反省し、また幼年時代を回顧するとき、そう信ぜざるをえない。

 

この確からしい事柄は、悲痛であると同時に、限りなく慰めに充ちている。

君はこのことをどう考えるだろうか。

ヨーロッパの精神が、その行き尽くしたはてに、いつもそこに立ち返る。

ギリシアの神話や旧約聖書の中では、神殿の巫女たちや予言者たちが、

将来栄光をうけたり、悲劇的な運命を辿ったりする人々について、

予言をしていることを君も知っていることと思う。

 

稚い生命の中に、ある本質的な意味で、すでにその人の生涯全部が含まれ、

さらに顕われてさえいるのでないとしたら、どうしてこういうことが可能だったのだろうか。

またそれが古い記録を綴った人々の心を惹いたのだろうか。

社会における地位やそれを支配する掟、それらへの不可避の配慮、家庭、恋愛、交友、

それらから醸し出される曲折した経緯、そのほか様々なことで、この運命は覆われている。

しかしそのことはやがて、秘かに、あるいは明らかに、露われざるをえないだろう。

 

そして人はその人自身の死を死ぬことができるだろう、またその時、人は死を恐れない。」

 

「バビロンの流れのほとりにて(1953年10月)」森有正著 より抜粋。

 

 

10月6日(日)に刑部彰一さんと対談・・・というか、むしろインタビューになりましたが、

その時にずっと思い出していたのがこの文章でした。

何度読んだか分からないくらい再読に再読を重ねた森有正。

体験と経験、日本語の「二項定理」(日本語の基本構造は二人称である、という発見)、
デカルトとパスカル、ドストエフスキーをはじめ、

私自身を形成したと言っても過言ではない。
この最初の文章をつくづく感じ続けた一日でした。

 

ローマは一日にしてならず。

栴檀は双葉より芳し。

 

いろいろな言葉も思い浮かびました。

 

当然と言えば当然ですが、

現在素晴らしい刑部彰一さんも、

突然出来上がるわけではありません。

様々な伏線、背景の結果として今日の彼があります。

重厚な織物のように織りなされ、磨き上げられた結果としての彼があります。

 

素晴らしい一日でした。

次回は、10月14日(月祝)森山かをりさんとの対談です。

森山さんは、ご自身の深い傷から立ち直るとともに、

同様に深い傷を負った人と共に明るい未来に向かって立ち上がる素晴らしい人です。

次回も多くの方々のご参加を楽しみにしています。

 

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