学長ブログ

森有正 「体験」と「経験」

2024-09-15

森有正は、私の青春にとって、とても大きな存在でした。
高校2年生の時に初めて知った名前。
倫理社会の授業で先生が教えてくれました。

「体験」と「経験」
どちらの言葉も通常ほぼ同じ意味です。
しかし森有正にはどうしても峻別したい二つの状態がありました。

一つは日常生活の中で漫然と堆積していく単なる日常の集積。それを「体験」と名付けました。

もう一つは、「体験」から始まってはいますが、単なる個人の「体験」の堆積ではなく、
誰にでも通じる、どんな時代でも、どんな地域でも、どんな状況でも通じるような、
普遍的なものに磨き上げられたもの、それを「経験」と名付けたのです。

森有正は、体験を「どんな阿呆にも自動的に堆積する」と言いました。

単に生きているだけで自動的に堆積するもの、それが「体験」。
生きていく中で普遍的な教訓になり、智慧になりえるもの、それが「経験」。

このような分かりやすい卑近な例を出しました。
「蚊が刺した。痛かった。」 これが体験。
「蚊が刺すと痛い。」 これが経験。

「体験」は個人の中に閉じ込められている「属人的」なもの。
「経験」は個人から始まってはいますが、決して個人の中に閉じ込められず、
あらゆる人に対して開かれている「普遍的」な智慧、叡智。
人間のみならず、動植物・鉱物はもちろん、あらゆる存在に開かれているもの。

あらゆる行為は、経験の分かち合いであり、学問の意味も結局はそこにある。

夢中になって読みました。再読、再再読。再々再読・・・
いつの間にか、私が森有正なのか、森有正が私なのか、分からなくなりました・・・
そんな青春時代、アメリカ時代、フランス時代でした。

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